實相山西方院願生寺(じっそうざん さいほういん がんしょうじ)
【略縁起】当寺は御成街道沿い岩附久保宿(現本町)の中心に位置し、開基は延文二酉年(1357)七月、鎌倉幕府崩壊の後、朝廷が南北2つに割れ正統性を争った頃、南朝の中院定本朝臣に仕えていた久保右近が本国に下り蟄居・剃髪し庵を結んだと伝わる。(一説には弟とも)開山については大永二午年(1522)との説があったが、浄土宗に伝わる書物『檀林瓜連常福寺誌』の中に浄土宗第三祖良忠上人の門流として「武州岩槻願生寺開山」として「門入上人」の名が記載されており延文年間説が有力となった。
願 生 寺 歴 代 住 職
開山 圓蓮社寂譽上人門入大和尚 延文五庚子年(1360)八月十五日
二世 本蓮社誓譽上人檀寮和尚
三世 源蓮社本譽上人典秀和尚
四世 重蓮社文譽上人義山和尚
五世 教蓮社柯典譽上人攬宿和尚
六世 寂蓮社然譽上人覺湛和尚
七世 正蓮社念譽上人林宗和尚
八世 観蓮社稱譽上人悦山和尚
九世 念蓮社專譽上人故順宗和尚
十世 正蓮社眞譽上人實道和尚
十一世 誓蓮社本譽上人檀秀和尚
十二世 往蓮社生譽上人長南和尚
十三世 相蓮社實譽上人順教和尚 元禄四未年(1691)七月二十日
十四世 中興念蓮社稱譽上人南宗利通和尚 宝永四亥年(1708)六月十四日
十五世 厭蓮社歡譽上人廓道和尚
十六世 實蓮社成譽上人廓辧和尚
十七世 觀蓮社經譽上人寮傳和尚
十八世 従中興恢蓮社廓譽上人秀白常滿大和尚 享保十五年(1730)正月六日
十九世 縁蓮社三譽上人全澄生鈍和尚
二十世 湛蓮社用譽上人圓阿寂穏聖童和尚 明和五子年(1768) *寛政九年(1757)9月15日児玉南柯日記に舞観賞とあり。
二十一世 信蓮社海譽上人法阿慈空澤巖和尚 天明元年(1781)閏5.1 スルガ花陽院へ移転
二十二世 證蓮社速譽上人學存和尚 明和九辰年(1772)正月十七日 山門建立・鐘楼再建
二十三世 稱蓮社相譽上人明阿智光和尚 天明九年(1781.8.10)
二十四世 鳳蓮社瑞譽上人中阿持掌培圓和尚 天明七未年(1787.7.5)
二十五世 觀譽上人嶺山和尚 木崎正樹院移転 文化三寅年(1806.3.1)
二十六世 清蓮社淨譽上人信澄龍冏和尚 天保七申年(1836.7.24)
二十七世 觀蓮社喜譽随岸和尚 天保九年(1838.3.20)
二十八世 妙蓮社説譽上人演誠和尚
二十九世 佛蓮社法譽上人海阿入能信覺和尚 赤山源長寺須譽上人弟子
三 十 世 勤蓮社修譽上人精阿進法和尚
三十一世 天蓮社洪譽上人深阿無涯玄祐和尚 大正五年十二月十八日 明治25年9月から27年9月 本堂大修繕
三十二世 中興願蓮社僧正生譽上人見阿実相玄夢大和尚 大正十年二月
三十三世 称蓮社正僧正念譽上人選阿全康玄隆大和尚 昭和21年〜58年住職 昭和53年客殿建立
三十四世 速蓮社成譽上人智之和尚 昭和58年〜平成13年住職
三十五世 現住職 建譽實朗 平成29年本堂新築落慶 平成30年五重相伝会開筵
茅葺屋根の旧本堂(写真上)と大正年間の本堂(写真下)
阿弥陀三尊図像月待供養板碑(あみださんぞんずぞう つきまちくよう いたび)
さいたま市指定文化財
阿弥陀さまのご来迎を彫刻した貴重な板碑で、建立の年月日は地中に埋まっているので不明ですが、関東地方でいわゆる「武蔵型板碑」として中世(室町時代前後)に多く存在し、その時代の作と推定されます。
彫刻には「為度衆生故普照四天下」(もろもろの人々を救わんがためにあまねく四天下を照らし給う)とあり、阿弥陀さまが左右に踏み分けられた蓮の台にお乗りになって、上部左右に月が描かれている所は,極楽浄土へのお迎え。衆生救済のお姿です。